初代社長が大正12年頃から水力発電所関係の仕事に携わり、大正13年竣工の中津川第一発電所(現東京電力梶E新潟県)、昭和3年竣工の佐久発電所(現東京電力梶E群馬県)の建設に請負業者として携わりました。
その時いただいた竣工記念の銀杯は今でも当社に大切に保管されています。
また、その他にも太平洋戦争が始まる頃まで新潟県、群馬県、長野県、栃木県の様々な水力発電所に関する仕事に携わって来ました。その後、太平洋戦争が始まる頃親会社の指示で満州に渡り、水力発電所や変電所の仕事を行っていましたが敗戦の色が濃くなった頃日本へ引き揚げてきて終戦を迎えました。
引き上げてしばらくたった頃の昭和22年9月、関東地方をおそった台風(カスリン台風)により佐久発電所が壊滅的打撃を受けました。このとき日本発送電梶i東京電力鰍フ前身)から依頼を受けた初代社長が15人ほどの人を集め、佐久発電所の復旧工事の一翼を担い見事に復旧工事を成し遂げました。
この時、現在の経済産業省に当たる東京商工局から感謝状をいただいております。
参考にご覧ください
この時が実質的な当社の創業の時であり、創業の地が佐久発電所と言うことになりました。その後も昭和30年竣工の切明発電所(東京電力梶E長野県)の建設など発変電工事に携わって参りましたが、当時の東京電力鰍フ幹部の方の「これからの電力の仕事は東京が中心になるので東京へ行きなさい」との御指導により。東京近郊の現在の所在地に進出し、昭和35年9月1日に初代社長と現会長とでトマル電気工業株式会社を発足させ、現在に至っております。